清元登子プロが2017年9月16日に誤嚥(ごえん)性肺炎のため
神奈川県横浜市内で亡くなられました。
78歳でした。
清元登子プロといえば不動裕理、大山志保、古閑美保と
3人の賞金女王を育てた方ということで有名ですよね。
私もそれで清元登子プロのお名前を知りました。
清元登子プロは24歳からゴルフを始められたそうです。
その後1973年のトヨトミ・レディースで
日米のトッププロを抑え史上初のアマチュアでの優勝をされたそうです。
日本初のアマチュア優勝だったそうです。
宮里藍プロがアマチュアで優勝した年よりも
36年前のことだったそうです。
その話は以前聞いたことがあったので、
すごい方だとは知っていましたが、
その後も賞金女王を育てたりして、
どんなおばさんなんだろうと気になっていました。
1974年のプロ入り後は
1978年日本女子オープンなど7勝を挙げ、
1995年から2年間LPGA会長を務められたんだそうです。
清元登子プロの経歴はこちら
◆清元 登子(きよもと・たかこ)
1939年(昭14)6月15日、熊本県熊本市生まれ。
九州女学院高(現ルーテル学院高)時代はソフトボール選手。
日本女子アマ3勝。74年のプロ転向後は通算7勝。
84、85年日本女子プロゴルフ協会理事長。97〜07年同副会長。
13年から顧問。
LPGAではティーチング資格制度の基盤立ち上げやジュニア育成に尽力。
82、07年日本プロスポーツ功労賞。
17年日本プロゴルフ殿堂入り。
こちらの情報はスポニチアネックスニュースから抜粋
この訃報を見たときに、
こんなニュースも載っていたので読んでみると・・・・。
古閑 師匠の「なめとんのか」に奮起という題名でした。
古閑美保プロが前週の試合で予選落ち、
またその翌週の日本女子オープン初日の結果は36位と下位だったことで、
日本女子オープンの二日目の朝に師匠の清元登子プロから
電話がかかってきたそうです。
その時の言葉がナント・・・・・
『もうやめろ。なめとんのか、お前』
だったんですって。
すごい喝ですよね。
そこまで気合入れてくれる師匠っていいですよね。
そんな言葉を投げかけてくれる師匠がいるからこそ、
賞金女王まで上り詰めたんでしょうね。
清元プロの一番弟子の不動裕理プロは
「ゴルフに対しての基本、当たり前のことを
やり続けることの大事さを教わりました。
決めたことは続ける。それは今でも守っています」
というコメント。
賞金女王に6度輝いた不動プロは10歳から
清元プロに教わっていたそうです。
不動プロがプロ転向後、清元プロの自宅に住み込んで
指導を受けていたそうです。
『朝晩の食事も作ってもらいました。本当に感謝しています。』と。
なんだか言葉はすごいキツイかもしれないですけど、
その裏にはすごい愛情のあるのがわかりますよね。
そんな方に出会えた人っていいですねぇ。
ゴルフでもなんでもやるならちゃんとやれってことですよね。
決めたらやり続けろってことなんですよね。
良い成績が出したいなら真剣にやれってことですね。
さぼってたらいつまでも上達しないどころか、
悪いスコアも出るかもしれないです。
実は、私自身ゴルフに対するやる気が全くなくなっていたのですが、
実際やらないでいたらだんだんゴルフが悪くなってしまっています。
清元プロが古閑美保プロに喝を入れたあの言葉で、
なんだか自分にも喝を入れてもらったような、
気合が入ったというか、やる気を出させてくれたような気がします。
ってことで、これから練習行ってきます。